島根から友人Nが出張で東京に来たので飲みにく。いつも急な連絡は相変わらずで、上野で合流。これまで何度か東京で会っていて、そのたびに彼は何がやりたいかわからないが何かしたいと抽象的な事を言っていた。今回もそう。そんな事を繰り返している間に職場での地位もよくなってきて、余計悩んできたらしい。それは単なる理屈付けでしょ?と言うとないものねだりと言う。これは以前聞いた返しであるし、むしろほぼすべて同じ事を言っているように聞こえる。何がしたいのかわからなければ、いつか他人に迷惑をかけるだろうし自分にとってもよくない。たとえ何がやりたいかわかったとしてもその欲望を他人と共有する、という壁がまた立ち現れる。しかしそれは欲望があればの話であるが、それを探し求めて一年経って何も成長していないと言うくらいなら、環境を変えてみては?などなどいつもより冷たく言うと少し苛立ち始めていたようだ。いつもはいじらない携帯を眺め始めたのがよい例だ。逃げて、適当に理屈をつけることで本質を隠しては結局何も変わらないのでは?いい仕事につき、収入もあり安定しているのに悩んでいる方をみると少し窮屈に生き過ぎてはいないか?と思うのだが。こっちにきてみてはどうだろうか。今得ている地位を後からまた欲しがるくらいなら来る必要はないだろうが、後悔しないと思うのならくればいいのに。皆迎え入れてくれるはずだと思う。
うむ、何かいつもとは違う話をしてしまったようだ。最近私が出会った人々は、私がみる限りではあるが窮屈そうに生きているようにみえない。そこがなんともたまらない。これまで私が付き合ってきた某業界?の人々の、私にはこれしかない的な考えには相当疲れてきたせいか、私自身もゆったりと過ごしているように思う。とか言いながらまた話しは元に戻りそうである。これしかない、とかそういう風に考えるのは悪くはないと思うが時に窮屈にさせるんですよね。。2年くらい前の自分もそうだったのでなおさらそう思ったり。
Ravel, Piano concerto in G - II Adagio assai (L. Bernstein)
録音ひどいが涙もの。Kindness - Houseで彼はバーンシュタインの映像を引用していましたな。
愛しのマルタ演奏。
Martha Argerich - Schumann: Piano Concerto - Gewandhausorchester Leipzig, Riccardo Chailly