1本目は1、2カット目の映像と音の関係性をみてこれはダメだと。震災を語ろうとしながらも何も語れていないのは個々の歴史が全く描けていないため、何も有機的に結びつかないから。俳優に対する場の提供の酷さが露骨に垣間見えた気がした。本人は真摯に語ろうとしたつもりでいても、それが画面から伝わらなければどうしようもない。
2本目、少年たちを捉えるカメラの動き、編集など何をみせたいのかともう少しいじれる気がするが、この映画からは思想も何もみえてこなかった。この映画を撮る意義みたいなものはどこにあったのであろうか。
3本目、「小森はるか/Komori Haruka - the place named」を。3.11以後、映画は、あるいは我々は世界とどう向き合うのかということについて真摯に向き合った映画だった。
「語ることが不可能なのかもしれないもの」について語ろうとすること。この映画は語り得ないであろう
ものの周辺に漂うものを取繕って、その臨界を浮き上がらせているはず。そして切断してしまったかもしれない瞬間を繋ぎ合わせ、新たな出発点を小さいながら
もみせてくれたと思う。
友人ということもあり、私が彼女のよい観客であるため彼女がこの映画を通して世界といかに向き合うかが透けてみえたが、初めてこの映画をみた人が同様に感じ取れるかどうかは疑問ではある。しかし多くのロングショット、とりわけ編集は本当に素晴らしい。あと、音。一回しか観ていないのであれですが、記憶によると徐々に稽古の空間にまでもう一方の物語の音が浸透してくるのもよく、映画的側面においては初鑑賞者にとっても刺激的な体験であると思う。
鑑賞後、皆と談笑していると最寄り駅までの終電がなく池袋で足止め。地図の前に立っていたら、どこかで聴いた事のある声が背後から聴こえてきた。振り返ると素晴らしい映画を撮った彼女であった。 帰る方向が一緒なので長々と映画なり多くのことを話しながら歩いて帰った。
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