ステファノ・ピラーティによるYSL Last Collection
おまけのSLIMANEによるYSL
ようやくフィンチャー版「ドラゴンタトゥーの女」を。良作。あらゆるものが有機的に結びつき、ドラマティックな展開を生み出すかと思えばそういうわけでもなく、かといってじわじわとくることもなかった。旧メディアと新メディアが同じ答えに行き着くときのドラマティックな感動がね。。 リスベット役ルーニー・マーラのオリジナルより女性性が増した役作りはよかった。それがオリジナルとは違うラストのかなりべたな演出でちょいと効くわけだが。ハッカーとしてのリスベットの在り方は、彼女がポジティブでもネガティブでもないようにみえるので、某集団と一緒に考えるのは微妙かもしれない。
ここで一番上がった。w 突き抜けてくれない声。。
あらゆるコンテンツを画期的に、または斬新に活用する方法をレクチャーする橋渡し的な存在がやはり重要か。情報過多(とはいえある意味小さな世界において似た情報が溢れていると捉えれば視野は狭まられ、過多とは言い難いのではないか。現実世界の隣人が自分自身に近づいてきているのであろうから。そして仮想世界においてもそれが現実化してきている。)溢れかえっていて、いち早く最新の映画、最新の音楽、最新のファッションを通達することはすでに当たり前なのであるから、やはり重要なのはそれはどう紹介していくか、それぞれの文脈に合わせて上手い具合に落とし込んでいく作業が必要ではないか。そこにどうにかして普遍性を導入するか、それによりシェア率も高まるはずである。とは言いつつ、この先何がどうなるかよくわからないのであるが。
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